●地球温暖化とセミの知らせ


 長崎(南端)から高知に越してきた20数年前の夏、驚いたことが一つあった。あぶらセミの多さと一方でのくまセミの少なさである。くまセミはあぶらセミより熱さを好むらしく、長崎ではくまセミが優勢であった。当然、長崎ではあぶらセミの市場価値が高く、くまセミの評価は低かった。ところがどうだろう、高知にきた途端その価値観は反転した。あぶらセミの“価値”は、私の中で二束三文となった。▲つい先日ヒートアイランド現象で東京の気温は、過去100年間で4度上昇したと報道された。しかし、これは東京という局地の問題ではない。地球全体では、過 去100年間に、気温は 1.0℃上がり、海水位は 11cm 上昇している。エネルギー消費によるCO2など温暖化ガスの排出、乱開発等による森林の焼失などが原因だ。今後100年以内に平均温度は約6℃上昇、50cmから1mの海面上昇が見られるという。国土の水没は勿論、気候変動による動植物の生態への影響、深刻な食糧問題などの発生が心配されている▲われわれ労組は、大幅賃上げの社会的意義をGDP6割を占める個人消費の喚起に求める。確かに、現在の不況の原因が、需要と供給のミスマッチ、即ち需要不足にあることは確かだ。需要の大きさは、所 得の大きさと消費性向の積だから、賃上げ(あるいは減税)と社会保障の充実による将来不安の解消は本来あるべき政策選択だ。さらにいえば、そこに中小企業支援(金融支援、技術・経営支援等)、農林漁業振興などの供給サイドの政策をミックスすることが考えられる▲しかし、「?」が残る。腑に落ちない。大幅賃上げ=需要喚起も結局は、GDP大化の産業政策の「副産物」に過ぎないのではないか。GDPの拡大がなければ、生活の向上はないのか、幸福追求は出来ないのか?城山三郎が内橋克人との対談で言っていた、「豊かでなくても幸福であればいい。だから、そういう生き方を考える。豊かさと直結しないでね。逆にいえば、豊かになったって不幸になる人もいるんですからね。考え方としては、それが一つありますね。」と。しかし、主観を変えることによって幸福になりたいとは思わない。それも時には有 効で必要ではあろうが、GDPの拡大を伴わない生活向上、そのような持続発展可能な社会の追及こそが、本格的に求められているのではないか▲GDP統計の中には、医療・福祉で生み出されるサービスの価値も含まれている。GDPは拡大するといっても、そういうものの増加であれば、地球環境とは矛盾しないし、生活の質を確実に引上げてくれる。私は“大幅賃上げ”を否定しようとは思わない。しかし、労組として“需要喚起”に加え、“需要の中身”の提起も必要な時代であると思う。これは、大幅賃上げの社会的意味をもっと広く、かつ、掘り下げて考えるということだ。同時に、自分たちの「生きる・働く・暮らす」という生活全般の一体的見直し、社会構造の転換を迫る ものでもある▲昨夜、台風が室戸をかすめ過ぎ去った。我が家の木々でセミの声がやかましい。しかし、そのセミの声は、20数年前とは違う。大半が、くまセミとなった。南国高知は、さらに南国となり、くまセミ前線は、確実に北上している。(2003.8.9)