●安全網(セーフティーネット)は社会保障か?


 小泉内閣の政策の柱は、「福祉制度」と「土建国家体制」の解体、とりわけ前者の解体路線にある。その背景には、多国籍企業化した日本資本主義の経済的政治的要請が横たわる。

社会保障は生存権保障という内在的側面と同時に、資本主義体制を維持するための「ビルトイン・スタビライザー」(自動安定装置)の役割という側面をあわせ持つ。

イギリスの社会保障の基礎となった「ベバリッジ報告」は第2次世界大戦の戦局が大詰めを迎える中、前線の兵士を鼓舞する役割を果たした。1942年発表されるや前線の兵士に配布され、その発行部数はアメリカのベストセラー「風邪と共に去りぬ」に匹敵するといわれる。同時にそれは戦後体制においてファシズムに代わって、資本主義体制の脅威になるであろう共産主義体制に対抗するためのものであった。従ってそれは「ビルトイン」といいながら資本主義の「外側」に嫌々配置された非資本主義的な装置(「一時的な譲歩」)なのである。

 ところがビルトイン・スタビライザーが有効に機能するための前提条件が、崩壊し、弱体化しつつある。崩壊したのは「共産主義体制」であり、弱体化しつつあるのは国内の労働組合運動である。それに代わって登場したのがむき出しの競争であり、そこからはじき飛ばされた人たちを救うための「セーフティー・ネット」論である。しかし、このセーフティー・ネットなるもの新種の社会保障たり得るのか。

 小泉内閣の政策の本質は、「10年遅れのサッチャリズム」、即ち新自由主義(新保守主義)の政策といわれる。その思想的根底には優勝劣敗の「社会ダーウィニズム」が横たわる。

能力の優れたものが生き残り、劣ったものは淘汰される。そのようにして効率的な社会が出来上がっていく。社会保障は能力の劣った者を助けることによって、社会の効率を阻害すると考えられる。貧富の格差は、能力差の結果であり当然視される。セーフティー・ネットとは、競争からはじき出された人たちを「効率的な社会」から隔離するための装置なのである。

 小泉首相が重用する竹中平蔵にしろ島田晴雄にしろバリバリの新自由主義者である。お坊ちゃん風の顔の下には、むき出しの「強者の論理」が息づく。

 国民は転落の恐怖を味わいながら綱渡りの生活をすることを望んではいない。セーフティー・ネットではなく、安心して働き、生活できる社会保障を望んでいるのである。拮抗勢力としての労働組合運動の再生は喫緊の課題である。