●労働の新たな神聖さを


 「労働は神聖なり」。墨書された古びた布切れ。写真で見た記憶はあるが、戦前の組合大会の懸垂幕らしい。はじめて訪れた大原社研の一室。普段は最重要資料として耐火金庫に眠る「資本論」初版のサイン本。戦前からのメーデーのポスター。チラシ。文書以外は三次元資料というらしい▲知り合いの客員研究員の紹介で思わぬ厚遇を受ける。副所長に資料収集のスタンスを聞くと、「差別はせず基本的にすべてを収集する」「昨日結成された小組合が大組織になる可能性もある」と▲日本医労連の「医療労働者」も大会、中央委員会方針も保存されている。自分たちの日々の活動が、現に歴史の一こまとして同時的に収集・記録されているという奇妙な感覚。しかし、そのことと歴史性とは必ずしも一致しない▲生きる、働く、暮らすことが分断される「企業一元支配社会」(内橋克人)。そこには“人間まるごと”の思想はなく、「満たされざる労働」が横行し、果ては人間排除のリストラが猛威を振るう▲工場法なきむき出しの資本主義への逆戻りといわれる時代。「労働の神聖さ」を求めるスローガンは輝きを持つ。しかし、労働組合がそれを担うには労働三権を基礎にしながらも内橋氏の言う「多元的経済社会のビジョン」への新たな契機が必要だろう。(「医療労働者」脈路原稿04.6.7)