●闘う全国知事会は住民にとって危険か?


高知新聞八月十一日付け「全国知事会原案 補助金削減三兆三千億円」の記事が目を引いた。

たたかう全国知事会の面目躍如たるところで、自らの痛みをともなう原案を投げ返し、地方への財源委譲を政府に迫る形だ。

 なぜ、ここまで変わったのか。その答えの一端を、「知事が日本を変える」(文春新書)に見て取れる。宮城、三重、高知のいわゆる改革派知事の対談集。

 「国から予算を取ってくることが仕事であった時代は終わった」。「(地方分権一括法以降)県民に対する説明責任」、「中央とのパイプではなく、問題発見能力、問題解決能力のある知事」が求められている(北川正恭三重県知事・当時)。

「県民の側の視点に立つことが必要」、「お任せ民主主義、観客民主主義、住民が地元の利益を要求する時代は終わった」と、時に職員の意識改革、住民・県民の意識の転換を求める「改革派知事」だが、その真意を政府への対応で県民に納得させてほしい。

「これからは、コラボレーションつまり県と住民が協働で県づくりに取り組む時代」。だが、中央政府の意識はそこに至っていない。各種委員会、審議会など見せ掛けの「コラボレーション」と「Jポップ改革」と揶揄されるパフォーマンスはあっても、協働の理念が欠落している。

地方における行政と住民との新たな関係は、中央の政治のあり方を変え得る協働なのかもしれない。