労働委員会の課題と労働組合の取組み


                        高知県地方労働委員会労働者委員 田口 朝光
          (「月刊全労連」2002年6月号に掲載した論文に加筆、訂正したものです)


はじめに−狭い隔たり、低い垣根

 県経協の専務(使用者側委員)と酒を酌み交わしているところへ県連合の会長(労働者側委員)も加わる。自然と厳しい雇用情勢の話になる。例のごとく私が多少挑発気味に「連合、県労連、経協そろった雇用対策の会合を持ちましょうよ」と持ちかける。和気あいあいである。
 新しく女性の公益委員2名と労側委員1名が加わっての歓送迎会での1場面である。私にとっての2期目のスタート。
 ある使用者側委員に趣味を聞かれ無趣味と答えても許してもらえず、しょうことなしに「こないだ京都の国立博物館で雪舟展を見てきました」と答えると、書画骨董の相続税の話を詳しくしてくれた。
 公労使3者構成の醍醐味というか、普段付き合えない人たちとのふれあいの楽しさ。また、3者3様の奥深さが地労委の妙であり、争議解決にあたっての強みでもあると感じる。そこに事務局職員の個性が加わり、ハーモニーをかもし出す。そこでは多少の不協和音も効果音に過ぎない。
 早くこれが全国であたりまえのことになってほしい。全国の会に行くと、「全労連系が入って大丈夫ですか」と今でもまじめな顔で聞かれるという。そういう心配や全労連に対する「偏見」は、高知の現実が一瞬にして氷解させてくれる。
 全労連排除の偏った労働行政の是正が、全労連にとって重要課題であることは間違いない。また、労働委員会の機能発揮の障害の一つになっていることも確かであろう。しかし、これは連合との闘いではない。労働組合が時の権力によって差別されたり、弾圧をされることはあったとしても、同じ労働組合同士が相手の権利を認めないということはあってはならない。少なくとも地方にはそのような良識が生きていると、この2年間県連合の幹部と付き合ってみて実感する。中立労組の存在に考慮しながら委員の配分について連合、全労連で話し合いができるようになることを期待する。

労働委員会のかかえる二つの課題
 
 2000年11月の第55回全労委総会で『労働委員会制度のあり方検討委員会報告』(以下『報告』)が承認された。そこで挙げられている課題は2つ。1つは個別紛争処理の取扱いである。2つ目は不当労働行為事件審査の改善。


1.個別紛争取扱いをめぐる状況

<39道府県で実施>

 個別紛争については、すでに結論が出た形だ。従来の集団的労使紛争の調整(斡旋、調停など)に加えて、個別紛争についても簡易な斡旋業務を行うということである。2001年4月1日スタートの高知県を皮切りに今年4月1日現在39道府県で個別紛争を取り扱うことになった。相談業務と斡旋の両方をやっているのが高知県を含め7県、相談業務は従来通り知事部局で行い斡旋のみを行っているのが32道府県となっている。5県が実施を検討しており、東京、兵庫、福岡の3都県は実施主体が地労委以外となっている。

<背景には労働委員会の危機感>
 個別紛争を地労委で扱うようになった背景の1つには、何と言っても労働委員会の取扱う事件数の減少が挙げられる。高知県で調整事件がおおよそ年平均10件、不当労働行為事件が1件あるかないかと言った状況である。税金の「無駄使い」論、地労委の統合論なども懸念され、従来の活動だけでは地労委の存在意義を積極的に提示できないとの危機感があった。
 2つ目には、個別紛争、個別相談の増加が挙げられる。県行政、労働局、労働団体ともに取扱い件数が増加傾向にある。一方、地労委が扱う事件も駆け込み相談による個別紛争的色彩の強いものが増加してきている。
 雇用の流動化、それに伴う労働環境の複雑化、労使紛争の多様化に、地労委がこれまで蓄積してきたノウハウを生かして対応すべきだという積極対応論があった。
 3つ目には、労働局の動きである。個別紛争に積極的に対応しており、このままだと労働委員会側が後手後手になり、埋没してしまうという危機感である。

<高知県における実施状況と課題>

 高知県におけるこの1年間の相談取扱い件数は69件、月平均約6件となっている。労働者からの相談58件、使用者からの相談11件。相談内容としては、労働条件が41件と圧倒的に多く、とりわけ雇用問題が10件となっているのが特徴である。
 相談のうち斡旋まで行った事例が、7件。その後の状況は、不開始(相手方が斡旋に応じない場合)が1件、取下げ(調査、斡旋作業の過程で自主的に取下げた場合)が2件、解決1件、打ち切り(具体的な斡旋作業が行われたにもかかわらず双方の合意まで達しなかった場合)が3件となっている。
 この相談件数が多いのか少ないのかは、知事部局で受けた相談件数の推移、労働局の活動状況などとの比較が必要だが、相談件数の伸び悩みの傾向が出ており窓口開設のアピールを恒常的にすることの必要性は浮き彫りになっている。
 斡旋まで行くケースは相談件数の約1割である。全国の統計結果を待つのが妥当だろうが、斡旋における解決率の低さは、強制力のなさの問題や個別相談独自の斡旋手法の工夫などの課題を投げかけているように思われる。ただし、具体的な解決に至らなくとも相談自体が相談者に一定の満足を与えていることは確かであろう。
 知事部局でも従来通り労働相談を受け付けており、それとの連携は個別の斡旋件数を増やし、何らかの解決を図る上では喫緊の課題である。
 相談の段階では事務局職員の果たす役割が大きいのであるが、事務局職員、委員の研修が一つの課題となっている。
 1998年10月に公表された労使関係法研究会の報告で提起された6方式のうち労委案と労働局案が先行する形になっているが、全体的、本格的な評価はこれからである。
 注)2001年10月から各都道府県労働局において個別労働紛争解決制度がスタートしたが、10月から12月の3ヶ月間の実績を見ると総合労働相談件数が121,330件。そのうち労働関係法の違反を伴わない民事上の個別労使紛争が20,470件(年ベースで対前年比70%増)。対処方法としては労働局長による助言・指導の申請が行われたのが411件。あっせん申請が308件となっている。そのうち手続きが終了した147件のあっせんについて見ると、合意が成立したものが57件(39%)、取下げ41件(28%)、打切り44件(30%)となっている。

<補論−集団的労使紛争調整における課題>

 『報告』では従来の集団的労使紛争の調整については、「全体として機能を果たしている」と評価しているのであるが、課題は多いように思われる。
 まず、使用者側のあっせん拒否については、団交を中心とした労使自治の延長線上に位置付けられることから経営側の拒否は少ない。ただ、集団的労使紛争に形を変えた個別紛争に関しては使用者側に拒否されるケースは多いように思われる。それでも、純粋な個別紛争のケースとは異なり、労働組合を背景とする場合にはあっせんから不当労働行為の救済申請や民事裁判に移行する可能性をはらんでおり、それが使用者側にあっせん受け入れのインセンティブとなっていることが推測される。事務局職員は勿論、調査段階からの使用者側委員による説得活動も試みられて良いのではないだろうか。
 労使関係の安定化を目的とするという労働事件の特性から審査事件の調整事件化が指摘されているが、調整事件の審査事件化もまた必要であると思われる。不当労働行為の救済には時間がかかることから権利紛争であってもまずあっせんにかけるケースもあろう。その場合には、労働関係調整法の枠内に留まる形式主義に固執していては労働者、労働組合の利益は守られない。例え利益紛争であっても経営内容の公開なども行われていない未成熟な労使関係における紛争にあっては、支払能力等についてのある一定の判断に基づいた調整作業も必要になってこよう。
 労働戦線の分離された現状を反映した委員の選任も重要である。あっせん、調停に欠ける強制力を補完するものの一つが、労使委員と労使双方との信頼関係である。また、それに基づく説得である。当該単組がいずれかのナショナルセンターに属し、異なるセンターの委員が担当となった場合、担当委員や地労委全体としての努力は勿論重要な要素ではあるが、超えられない一線があるように思われる。持ち込み段階から相談を受け、状況を正確に把握していることは勿論、争議の落し所についての本音を委員として掌握していることが、調整作業をスムーズに進めることにつながることは異論のないところだろう。委員と当該労働者、労働組合との信頼関係は、争議解決への受容可能性を高めると言える。
 このことは審査事件よりも調整事件に端的に当てはまり、また地方の労働委員会においては調整事件の占める比率が高いことから、労働省の54通牒(1949年)の趣旨に従った委員の任命は、ナショナル・センターの利害を超えた労働委員会としての課題である。


2.不当労働行為事件審査の充実をめぐる状況

<「簡易」「迅速」「低廉」の本来機能の回復が急務>
 もう一つの課題である不当労働行為事件審査の充実について『報告』は、事務局職員の専門性の強化、委員の実務的ノウハウの習熟のための措置、事務局調査の充実、調査における争点・証拠整理の徹底、審問手続きの計画的・効率的実施、命令書の定型化、簡素化及び命令書作成の目標期間の設定などを「改善事項」として挙げている。
 「改善事項」のうち特に審査手続きの充実については、1982年に出された労使関係法研究会の報告が既に貴重な改善方向を示しているし、各地労委でも申請文章のFAXでの受付けや審問についても同一日に複数の証人調べを行うなど迅速化のための工夫がなされている。55回全労委総会へ向けて2000年に実施された各地労委へのアンケートにも各地の貴重な取組みが豊富に記載されている。
 2001年1月から8月の実績で、命令書の交付に至った事例でそれまでに要した期間は平均で1,206日となっている。取り下げ・和解のケースでも607日。経営側の遅延戦術を考慮しても長すぎる。取扱い件数の減少(同期間の全国での新規申立件数は238件。しかも0ないし1件の県が27となっている)の背景には、労働組合組織率の低下、労使協調路線の定着、経済の低成長への移行など社会・経済的要因もあろうが、審査遅延など労働委員会本来の機能の低下が労働者、労働組合の信頼を損ねていることは否めないであろう。
 地方の労働委員会では不当労働行為救済事件が少ないというハンディーはあるが、数少ない機会を生かし各地の経験にも学びながら改善への努力が求められている。
 また、ローカルセンターとしては、過去の文献や経験、当該組合の意見などを集約しながら、改善申し入れを行ない地労委側と率直で建設的な意見交換を行うことも必要であろう。更に、弁護士に代理人を依頼しなくともロウカル・センターの幹部が代理人をできる力量をつければ、地労委活用の幅が広がり、活性化にも貢献できるであろう。
労働委員会内外の関係者が立場を超えて、労働委員会の本来機能を回復するための努力を行うことが重要である。

<制度改革の必要性−司法改革も視野に>

 また、『報告』では今後の「検討事項」として強制権限の行使要件、命令の実効性確保の措置、行政訴訟の審級省略などを挙げている。それらの検討のため、55回総会後に3者構成の「制度基本問題ワーキンググループ」が設置され、今年11月の57回総会に向け検討が重ねられている。
 審査促進のために現行法でも明記されている強制権限や不当労働行為のやり得を許さないための実効確保の措置を機動的、積極的に運用することが求められている。
 また、地労委命令が行政訴訟で逆転されるケースの急増、地労委活用が実質5審制につながるという逆説現象については、司法制度改革との関連で制度改革の議論が必要である。
 昨年7月に出された司法制度改革審議会の報告では、労働関係訴訟事件の審理期間をおおむね半減することとあわせて、雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する労働調停を導入すべきである、と提言している。
 更に、労働委員会の救済命令に対する司法審査の在り方、雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否、労働関係事件固有の訴訟手続の整備の要否について、早急に検討を開始すべきである、としている。

<制度改革の論点>
 労働紛争は、紛争当事者の観点から集団的労使紛争と個別的労使紛争とに二分される。このうち集団的労使紛争は主として労働委員会へ、個別的労使紛争のうち労働立法違反をめぐる紛争は主として労働基準監督署や女性少年室などの労働行政機関へ持ち込まれ、雇用契約上の権利義務問題のごく一部のみが裁判に持ち込まれてきたと概括できる。しかし、日本的雇用慣行が変更を迫られ、労使関係が複雑、多様化する中でこのシステムが機能不全に陥りつつある。
 労働委員会に持ち込まれる新規不当労働行為事件は年間380件、調整事件が623件(1999年)。いずれも最盛期の70年代の半分以下となっている。
 1年間に新たに提起される労働関係の民事訴訟は仮処分含め年間2,700件。徐々に増加しつつあるとは言えドイツの62万件、フランスの22万件と比べて極端に少ない。
 一方、自治体の労働関係部局が受ける労働相談は年間16万件(1999年労働省)、全国の監督署で受け付けた民事紛争を含めた相談件数は年間100万件にも達する(1999年4月から2000年3月)。
 これらの事実から増大する個別労使紛争への対処が中心課題であるかのような議論がされる傾向にあるが、警戒を要する。
 従来の枠組みでは個別紛争に対処できなくなっていることは確かであろうが、労働紛争を総体としてどう解決するかという観点を忘れてはならない。労働組合の組織率20%という状況では個別労使紛争をそれ自体として解決するという方法論もやむを得ない面はあるが、個別紛争の抜本的な解決は、長期的に見れば集団的な労使関係の構築ぬきにはありえないからである。
 まずは、集団的労使紛争の解決システムを再構築することが重要である。当然労働委員会改革だけで自己完結はできないのであって、労働裁判所の設置を含む司法改革との関連での議論が必要である。現在は、労働組合の訴訟権が認めていないため個人の権利義務関係の確定という形式を取ってはいるが、集団的労使紛争をその背景に持っているものも多いと推測される。労働裁判所の設置や労働組合訴権の承認、裁判官以外の労使代表の参与など労働関係裁判の改革は、個別的労使紛争の解決は勿論、集団的労使紛争にも重大な影響を持っている。
 個別紛争の解決手段としては、労働基準監督行政はある一定の効果を発揮していると言える。労働基準監督署は年間20万件の臨検監督を実施しているが、そのうち約1万5千件が労働者の申告による監督である。訴訟により権利を守ることが容易でない反面、労働立法は労働基準法のように監督行政を通して実効性を確保しようとしてきたと言える。解雇規制をはじめ未整備の労働法制の整備と監督行政の強化も一方法であろう。
 他にはADR(裁判外紛争処理)として地労委と労働局の個別紛争処理が始まっている。本格的評価はこれからであるが、強制力の弱さがいずれクローズアップされるものと思われる。民事調停の一種としての労働調停の構想も出されているが、ここでもやはり労働関係の裁判システムの整備が重要な役割を果たす。裁判システムへの移行が容易であって初めて強制権限に欠けるADRの手法が生きてくると思われるからである。

さいごに
 労働委員会をめぐる課題は、以上見てきたように極めて重い。しかし、労働組合が課せられている課題も同じく重い。
 労働委員会の活用件数の減少の背後に組織率の低下があることは厳然たる事実である。個別相談が増える背景に労働組合側の対応の遅れがあることも事実であろう。
 調整事件、不当労働行為事件ともに労働委員会側の改善の遅れを指摘することは重要である。しかし、その問題点の具体的な改善を迫る労働委員会の活用方法について、調査・研究を重ねることも重要である。
しかし、今何よりも重要なことは司法改革の機運の盛り上がりを絶好のチャンスとして、大きな観点で労働委員会改革を捕らえ、労働組合の社会的な役割の再構築を構想することではなかろうか。
(2002.5.28)