ヨーロッパ社会保障・労使関係調査印象記

高知県医労連 田口 朝光

 

 

今回の調査は、5月13日から23日までの11日間に、イギリス、フランス、ベルギーを訪問し、社会保障、労使関係、看護問題について調査をするという内容であった。 

調査項目が多様で困惑し、途中団として軌道修正も試みながら、労使関係を軸に調査を進めようと意思統一を行った。

団編成も15名という調査団としては比較的大規模なものとなった。また、構成も労組専従者が中心ではあるが、現場看護婦、放射線技師など参加した思いはそれぞれであった。

それだけにかえって単なる調査では味わえない、貴重な思い出も数多く残った旅であった。

 

(1)

成田から新潟上空、ロシア(シベリア)を経てイギリスに向かう。
 イギリスは、古い町でフラットと呼ばれる日本で言えば「長屋」が、ずらっと並ぶ。3階建てが多い。屋根の上には何本もの小さな煙突が曇ったイギリスの空に行儀良く突き出ている。

煙突の数と部屋の数は一致するという。現在は、煙突の機能は持たず、換気腔としての役割を果たすのみである。煙突の数ほどドアの数がないのは、建物の中で分かれているらしい。基本的には1階から3階まで、通しで同じ人が借りるらしい。しかし、それが、5階建てともなるとそうは行かない。そうなると、煙突の数が増えることとなる。

道路は狭い。フラットに挟まれた道路は、せいぜい2車線。ところが、道の両側は車でふさがれている。

フラット(イギリス以外でどう呼ぶかは聞かなかった)と車のこの風景は、フランス、ベルギーでも同じであった。日本は電信柱が立っていて、風景の情感が損なわれると言う人がいるが、両方とも風景の一部として許容できないことはない。

それぞれ古い建物が多く、取り壊しを制限し歴史的な建物を保護している。日本のように都市計画を行なう「合理性」は持ち合わせていないようある。そのために駐車場が整備できないのか、もともとそんな物に土地を使おうという気がないのか。宿泊したホテルの位置によっても印象は違うのであろうが、フランスは比較的高層ビルが多かったような気がした。

フラットの1月の家賃は、イギリスで約20ポンド、日本円にして5万円から6万円か。日本とそう変わらない。100年を超える建物が多く、歴史的にストックされている割には高いと思う。郊外に行けばどの国とも田園風景が広がり、一戸建てのそれこそ駐車場付きの家も目につく。
 歴史遺産を見、おいしい物を食べるだけではなく、それぞれの国の人々の暮らし振りにも接したかったが、フラットの壁越しに、そしてパブやカフェテリヤで歓談する人たちの表情から推測するしかない。

最初の訪問地イギリスであったか場所は忘れたが、通訳のK女子から購買力平価で日本の賃金は、ヨーロッパを超えているという記事を見たと聞いて、どうも自分の記憶と違っていたものでやり取りをしたことをいま思い出す。

見聞きした印象だけだが、予想と比べて質素なくらし向きにK女子の言うことが正しかったのではと思う。ホテルと繁華街でよく日本人観光客らしき一群と会い、レストランの従業員が片言の日本語でこちらに話しかけるものだから、余計にその印象を屈折した思いとともに強くした。

これらの国では、あまりゼネコンは幅を利かせそうにない。しかし、どうやら高福祉高負担も過去のものとなろうとしているようである。

おそらく日本とこれらの国では、国民総生産の構成が大きく異なっているに違いないと思いつつ、調べれば出てくるのであろうが怠惰にまかせている。

貧しさを強調し、要求獲得に檄を飛ばす時代から、生活の質、生活スタイルの組替えを合わせて提起する時代に差しかかっているような気がする。

 

(2)

労働党政権の進めるパートナーシップ構想に応じて、政府の政策決定に積極的にかかわり、責任の重さと同時に70%自分たちの主張が通っていると手応えを示すイギリス労働組合会議TUCや英国看護協会RCNの幹部。

 これと対照的なのがフランスCGT。社会党、共産党、緑の党からなる革新連立政権が進める医療民営化路線。連立政権とはいえ社会党の影響力が圧倒的に強く、その政策をもう一方のナショナルセンターであるCFDTが支持。対峙するCGT

 ナショナルセンター間の共同行動も実現してはいるが、政府の政策に対する温度差から有効な対抗策が打ち出せていない苦悩が伝わってくる。

 CFDTに行けば、また別の印象を受けたのであろうが、CGTの幹部はいかにも旧来の日本人的な活動家といった印象で、政府への直接的な影響力が低下する中で、患者、地域ぐるみ、地方議員を巻き込んだ闘いで対抗しようとしていた。

 ベルギーは、CSCというキリスト教系のナショナルセンターが、組織率トップ。ここは自由党、社会党との連立政権であるが、CSCの幹部にいわせれば、政策は足して2で割るというより右より。訪問した前日の日曜日には2万人の集会を開催し、政府に圧力を掛けたばかりだと話していた。

 組合存立の精神は、「自分が行った人への恩義は忘れても、人から受けた恩義は忘れるな」ということらしい。キリスト教的博愛の精神と労働者としての権利意識がみごとに融合していることに感心した。私たちを病院訪問に連れていってくれた看護婦の幹部は、病院の設立者が修道女、修道士である場合が多く、その分職員も聖職意識が強かった。それを15年前から「献身だけではなく、自分たちのためにも行動しよう」と説得し組織化していったという。

 CGTとベルギーに本部を置く世界労連WCLでは、昼食の思わぬ歓待を受け、食前酒にシャンパンは出るわ、ワインは出るわでおお盛り上り。

 CGTでは、医療行動労連の美しき女性書記長の前に陣取り、はたから言わせればかなりきつい質問を連発していたらしい。

きつい中味は、労組と政党との関係である。彼女は、「労組と共産党が関係があると思われることは、私たちの運動にとってマイナスになる」と極めてナーバスである。「共産党の政策が、大衆的に支持されるようになるために働きかけはしないのか」との質問には、キリッとした眼差しに困惑が走ったように思われた。

 

私が今回調査に参加した密かなねらいの1つは、EU15カ国中13カ国で社民党政権が樹立されている中で、労組はそれをどう評価し、政策決定にどう参加し、現実的な成果をどう獲得しているのかを知ることであった。

イギリスとフランスとでは、同じ社民党政権とはいっても政治状況がまったく異なる。イギリスには、労働組合のナショナルセンターはTUC1つしかなく、TUCこそ労働党に加盟していないが、傘下の5つの産業別組織はTUCの正式の加盟組織である。TUCの組合員の50%は、労働党 員であるという。労働党は、脱労働組合を打ち出しているが、労働党国会議員にTUC出身者も多く、その影響力は依然として大きいと言って良いだろう。

「脱労働組合」とは、むしろ、労働組合自体を含めた「脱対立」と受け取った方が良いのではないか、そういう印象を受けた。パートナーシップには、ラウンドテーブルがふさわしいし、そのように自己変革した労組は、パートナーシップのもう一方の責任を担い、それを果たそうとしている。

フランスには、9つものナショナルセンターが存在し、しかもそのトータルでも組織率が10%そこそこということである。代表的な組織は、CGT、社会党支持のCFDTFOなどである。

しかし、低いといわれる日本の組織率の半分しかない組織率だけで、フランスの労働組合の社会的な影響力を測ることは出来ない。

CGT主催の昼食会で抜かれたシャンパンのラベルには、12%とという文字が書かれていた。しかし、これはアルコールの度数ではなく、職場代表選挙で前回に比べ12%の躍進をしたという数字だという。組織率よりも、2年に1度行われる企業委員会選挙や5年に1回行われる労働裁判所選挙でいかに労働者の支持を得、代表を獲得するかが、組織の影響力のものさしとなるらしい。97年の労働裁判所選挙では、全体で500万人弱の労働者を投票行動に動員している。

CGTは、政党との関係を日本の全労連以上に厳密に区別している。センターが分立し、政党との関係も複雑である。政権側が示す労働組合への対応も、イギリスと比べて格段に厳しい。

17日に訪れたポンピドー病院でも、検査部門でストを準備中とのことであった。政労使のパートナーシップという対話の枠組みとゼネストという力の枠組みとの間での模索が、共同の追及や住民を巻き込んだ運動などとして現れているのであろう。

ベルギーCSCの印象は、この2カ国とはまた異なる。ベルギー最大のナショナルセンターでありながら政権に深入りもせず、フリーハンドで対応し、大衆行動も組織し充分影響力を行使しているという自信を含んだ明るさを感じた。

労働組合と政党、労働組合と政治、自分の心の中で育とうとしていたものが、今回の訪問でまた1つ膨らんだような気がする。

 

(3)

 ヨーロッパの賃金決定システムについて私自身誤解を持っていたのは、公務、民間問わず産別労組による中央交渉でことの基本が決まると思い込んでいたことである。イギリス、フランス、少なくともフランスの場合、確かに公務においては基本はそうであるし、公務が今のところ多数ではある。

しかし、CGT保健社会行動労連の幹部が、老人病院を中心とする民間医療機関を無法地帯と表現したが、民間部門においてはこれらの国々でも日本と同じような状態が広範に存在するらしい。即ち、労働条件、就業規則も経営者の勝手に決められているという実態である。しかも、その打開策は日本と同じく見出されていない。

とすれば、ヨーロッパと日本との違いは、産業別組合中心か企業内組合中心かの違いから来るのではなく、公務労働者に労働基本権が認められているかどうか、公務労働の比率が高いかどうかの違いに過ぎないのであろうか。

 

「人勧打破」という言葉をどうしてみんな賃金闘争の枕詞に好んで使うのか、かねてから違和感を持っていた。今回の調査で、その違和感の出所がはっきりしたように思う。

日本において労働条件を全国一律に規制する制度が、人勧をのけて他あるだろうか。それなのに活動家は、それにどうして魅力を感じないのか。地域包括最賃など遠く足元にも及ばない。

 労働運動を志す者にとってその醍醐味は、狭い企業内の枠を乗り越えていかに広く労働条件を規制するかではないか。

 規模数百から1000万を越す自治体まで、格差は確かにあるにしろ、まがりなりにも公務員としての規制がかかっている。山村の役場の職員が、人勧を頼りにするのには根拠がある。

 中央交渉が持たれなくなればなるほど、財政力=支払能力が幅を利かし、労働条件は低位分散化して行くことは自明の理。なぜ人勧の底上げ機能、引き上げ機能に注意を向けないのか。もっと穏当な言葉を使えば、全国一律中央決定システム的機能に注目しないのか(地方人事委員会の人事院からの独立という建前と従属という実態との微妙なバランスがそれを支えている)。この思いが、募っていた。

 

 公務の賃金決定には、少なくとも2つの契機があるだろう。1つは交渉機能、2つ目は交渉結果の全国的な波及機能である。

 日本の人勧も後者の機能は充分持ち合わせている。とすれば、人勧打破を唱えるより、人勧に労使交渉的な機能を持ち込むことこそが運動の重点ではないか、と私は1人思い、時に議論を吹っかけてきた。そして、これを1つの軸に産別組織の権威をうちたてるべきだと。

 国際労働組合権利センターICTURで聞いたイギリスの公務の賃金決定システムは、まさにこれだったのである。

 1970年代半ばと成立年ははっきりしないが、それまで軍人、判事についてあった仕組みが、一般公務員にも適用、賃金見直し機関Pay Review Bodyがつくられる。これは第3者機関であるが、労使双方はここに自己に都合の良い資料を提出し、論争する。そして、この機関が毎年1月初めに政府に対して勧告を出す。政府は勧告の全部、あるいは一部を4月から実施する。労組は、勧告が出た後は、団交、スト権の制限は受けず、不満であればそれらの権利を行使する。

 賃金は職種によって4等級から6等級に基本賃金が格付けされている。医療の職種の場合4等級制らしい。この基本給に、時間外や夜勤手当など非社会的労働への割増、現在はロンドンにしか見とめられていない生活費手当が付き、これで賃金の全てらしい。

 地方であってもこの4等級の賃金に変わりはないが、需給関係によっては格付けに幅が出てくる。地方での個別交渉は、そのような範囲らしい。

 ロンドンで心の霧の1つは晴れた。


(4)
 ベルギーのWCL国際労連本部、ここで聞いた話は各国の労働条件決定におけるEUの影であった。幹部からは、再々「少数の人間によってEUの政策が決定されている」という危惧の念が表明された。
 EU指令は、各国を拘束するくらいの知識しかなかった私は、一般論として聞き流していた。
 また、EU議会の議員の間では、市場原理導入の速度が速すぎた、少し速度を緩和すべきだというのが共通の認識になりつつあるという話も同時にされた。
 帰国して、まとめのための基礎資料を整理する中で、サッチャーの進める新自由主義路線とミッテラン、ドロールの進める社会民主主義路線(ソーシャル・ヨーロッパ)との壮絶な闘いを知った。
 社会労働問題こそ自由主義と社会民主義というヨーロッパにおける2大政治勢力の対立の焦点であった。それは、各国の内政問題からEUを舞台とする対立へと変容し、また、内政をも縛っていた。

 1979年にイギリスに保守党のサッチャー政権が誕生し、新自由主義的政策を推し進めると、1980年以降、重要な労働関係指令案は全て理事会で採択できない状況となった(理事会決定は全会一致が原則であり、労働時間規制を持たないイギリスは、ことごとく拒否権を発動した)。
 これに決着をつけるべく、ミッテランは、かつて蔵相を務めたドロールをEC委員長として送りこむ。85年のことである。
 ドロールは就任後間もない12月のルクセンブルグ欧州理事会で「単一欧州議定書」をまとめあげる。それは、奸智に満ちた内容であった。
 労働社会分野での改正事項は2つ。1つは旧第118a条の新設である。これにより、安全衛生分野は特定多数決で採択できるようになった。その裏には本来技術的分野である安全衛生を隠れ蓑に、労働時間法制を滑り込ませようという意図があった。
 もう1つは旧第118b条の新設である。これは欧州労使対話(Social Dia1ogue)に関する規定で、当時欧州レベルの労働協約など夢物語の域を出ていなかったことに乗じて、この条項を入れ込む。これが後のマーストリヒト条約付属社会政策協定において、EUレベルの労働協約法という枠組みに大化けしていくのである。
 鉄の意志を持つサッチャーも、還付金問題等が絡んでいたこともあり、将来における禍根が見ぬけなかった。そして、97年のニュー・レイバーの勝利が、この勝負に表面的には決着をつけた。
 また、EUの少数支配に対しては、この労働協約法による労使団体、特に欧州労連ETUCの政策決定への参加が、そしてEU議会の権限強化が、歯止めの役割を果たすであろう。
 しかし、真の勝利者は誰なのか、少数支配とは誰のための支配なのか、判然としない。
 表面的な動きの裏で、市場主義は確実に浸透して行っているからである。
 市場をどう見るのか、これが全ての価値判断の分水嶺のような気がする。そして、それが分水嶺であるとするならば、いまのヨーロッパにおいては勝敗の分かれ目は、より一層判然としなくなるのである。
              ◇    ◇    ◇
 英国看護協会RCNで聞いた話は興味深かった。RCNは職能別の労働組合である。自身も看護士出身という若き政策担当者は、目を輝かせ、大要次のように語った。

「長い間、保守党政権が続いた原因は、それまでの労働党の政策があまりにも左寄りであったことが原因。いくつかの企業の再国営化、高関税、富裕層への課税、完全軍縮など、国民にとってはあまり魅力的な政策ではなかった。
 保守党の主張のキーワードは、個人主義化、自由市場、税を財源とする公共事業は企業経営にとっては負担になる、というものであった。
 ニューレイバーは自分たちのめざす方向を、極端に左でもなく極端に右でもなく中道を行くということで「第3の道」と呼んでいる。
 これらが医療政策にどういう風に反映しているかを見ると、
 保守党は、民営化、患者負担増を主張。
 旧Laborは、増税で公共医療を守る、と主張していた。
 New Laborは、民間の医療機関があっても良い。政府が民間の質を管理していれば、民間が並存しても構わないと考える。」

 80年代の低迷から党内融和と路線修正に転換した労働党は、90年代初め、「市場による規制に基づく産業の近代化」による「福祉社会主義」の達成を唱えた。
 しかし、世論調査で勝利確実といわれた92年総選挙でも、キャンペーン中に有権者に党の変化を十分に印象づけることができずに敗北。改革は続く。
 93年党大会では1人1票制が実現された。これは個人党員の減少への対策であると同時に、「ブロック投票制」によって強大な権力を誇ってきた労働組合の影響力を抑えることが主要な目的であった。そして、それは部分的利益ではなく、全国民の利害を代表する政党としてアピールするという意図に基づいていた。
 労組依存の党財政の改革も進み、個人・企業献金の割合は顕著に増大した。
 また、メディアによるPRも重視されるようになり、コミュニケーション組織・キャンペーン組織が整備された。
 1994年7月党首選が行われ、圧倒的多数でトニー・ブレアが当選した。彼は、「税金と支出の党」「犯罪に甘い党」というイメージの払拭に努めた。労働党は政策的には右に寄った保守党と、自由民主党の中間に位置するといわれるまでの変化を遂げた。
 しかし、このような変化は皮肉にも80年代の新保守主義と失業の増大による労組の弱体化と、選挙での連敗をもって初めて可能だったのである。
 1997年5月総選挙で政権についたブレアは、「第3の道」を唱えている。ここではもはやケインジアニズムは放棄される一方で、保守党政権の市場機能重視の姿勢は継承されているのである。
 そういう意味では、真の勝利者は、「市場」なのかもしれない。しかし、その市場とて幾多の縛りを掛けられようとしている。
 その縛りの違いにこそ、「50歩100歩」ではない、大きな違いがあるのではないだろうか。「50歩」の違いに価値を見出してこそはじめて、判然としないものが判然としてくるのである。

(5)

印象記もそろそろ最終章にしなければならない。同時に進めてきた「報告集」のまとめ作業が、ほぼ完成に近づきつつあるからだ。メールというツールは、本当に便利だ。調査団15名中13名がそれを使いこなす。大きな武器となった。

しかし、思考そのものは私たち自身にかかっている。現時点で、未整理な課題も沢山あるが、「報告書」という性格上、そこでは触れることができなかったいくつかの思いも含め触れてみたい。今回の調査で得た印象をもとに、今後の整理に道筋だけでも示せたらと思う。

◇      ◇      ◇      ◇

まず、パートナーシップについて。私が担当した「ヨーロッパの政治と労使関係」の中でも触れたが、理解のポイントは、それは単なる労使協調的な労使関係というより、それを超えた新たな枠組みの構築をめざすものであるということだ。

解明の契機となる論点をいくつか挙げると、@まず、政労使の成熟した関係があるということ。片思いではできない。労働党政権がそれを推し進めているのであるが、その政治的なパートナーである労働組合会議TUCは勿論、英国産業連盟CBIはじめ、社会全体がそれを受容している雰囲気を感じた。

84年にサッチャーが発表した、炭坑の大「合理化」計画に端を発する大争議。炭労のストは363日間にも及んだが、スト抑えこみのための労働組合関係法の改定、警察機構の改革、石炭の備蓄増・緊急輸入体制の整備など用意周到なサッチャーに軍配が上がる。それ以降、賃上げは抑えこまれ、組織も激減する。激しい対立の契機を経て、はじめて関係は成熟するのか(それとも、労働党政権下の特異な一時的な関係なのか)。

Aニューレイバーは言う、「変わったのは社会だ」。政策変更の背景には、経済・社会状況の否応のない変化があると。ブレアはその著「第3の道」で、「グローバル市場とグローバル文化の一層の発展」、「雇用と新しい産業の推進力としての技術進歩と技能・情報の向上」、「女性の役割の変革」、「政治自体の性格の急速なる変化」を挙げている。

 政権についた西欧左翼について、「マルクス主義で現実を分析し(告発し)、ケインズ主義で現実の政権運営を行う」、とかっていわれた。戦後の福祉国家は、「フォードシステム的産業国家」とも表現される。その背景に、相対的に高い経済成長があったことは否めないであろう。

 経済が成熟し低成長に移行した現在(経済のグローバル化は、経済の成熟をより促進するものなのか、それとも成熟の枠組みを部分的にしろ破壊し、成長を促進するものなのか)、経済構造自体が従来の手法を許さなくなっているし、その上部構造である政治構造、より端的には政府の財政構造、そして国民の意識も、政策運営の変化を強制しているということなのか。

Bパートナーシップは、労組の理念にいかなる影響を与えるのか。従来は、階級対立、経営陣(資本)に対する敵がい心が、組合員結集の重要な要素ではなかったか。団体交渉やストライキは、組合員教育の恰好の場であり、階級的自覚を養うまたとない好機であった。

しかし、ラウンドテーブルを囲むパートナーシップにとって、階級対立はもはや過去のものといってよいだろう。それでは、労組のアイデンティティー、結集の理念は、何に求めたらよいのか。現に何に求めているのか。

国際労連WCL傘下のキリスト教労働組合連合CSCで聞いたことは、階級理念ではなしに博愛や人権、権利意識だけであっても充分労組結集の理念になり得ることを実感させた。

しかし、「これだけでは」、という懐疑の念をどうしても脱ぐいきれなかった。まとめ作業の中で触れることができたのが、TUCの諸文書の中に出てくるという、「持分を主張できる経済」(stakeholding economy)、「仕事における持分」(stake at work)という言葉であった。

これまでは「所有権」が絶対であり、そこから「経営権」も「指揮命令権」も導き出された。そしてそれに対抗するものは、「搾取」の理論であり、階級意識であった。いずれにしろ、「所有」概念が中心にあり、生産手段の所有、非所有が両者の階級対立の源なのである。

パートナーシップは、「所有権」に代えて「持分」の考えを持ちこむ。「持分」は、「雇用関係」から価値を導き出す。そしてそれは、「権利」の裏側としての「責任」と固く結合されている。「権利」の側面からだけではなく、「責任」の側面からも、企業、そして社会に積極的にかかわって行こうとする思想である。

より積極的に経営参加していく場合の組合結集の理念は、これだ。もう少し、TUCの文献に直に触れてみたい、という思いにかられる。

◇      ◇      ◇      ◇

(魅力的な)政策とは何か、ということもこの調査の間、私を悩ませた課題であった。「労働党の政策は、左過ぎて国民的には人気がなかった。」とのイギリス王立看護協会RCN幹部の先の話は、衝撃的であった。というより、(日本の)活動家集団の中では、思っていてもなかなか口に出し難いことを、勿論別の国でのことではあれ、こうもあっさり言われて、「やっぱりそうなのか」と拍子抜けしたというような感じであった。その思いが、社会行動労連のナディーヌ書記長への質問になったのである。招待された昼食会における質問としては、ふさわしくないと通訳のK女子の不評をかった(らしい)が。

 とかく私たちは、魅力のあるなしを、意識の問題、宣伝の問題に限定しがちである。受け取る側の「遅れた意識」と、われわれの側の「宣伝不足」、「マスコミの問題」などである。しかし、その根底に大きな経済・社会構造の変化があるとしたら、「遅れた意識」は正に私たち運動の側ではないか。

 若い頃、「存在が、意識を決定する」という『ドイツ・イデオロギー』の一節に、幻惑的魅力を感じたものであったが、いつしか既定の方針が、現実(の運動)を規定しはじめる逆立ち現象を不思議にも思わない感覚に慣らされてきていたのではなかったか。

 (もっとも、社会の変化に対する政策の立ち遅れなのか、意識のブレなのかの判断は、難しい問題としてこれからも私たちを絶えず悩ましつづけるであろうが)

*     *     *     *

 魅力ある政策かを問う場合のカギは?

「需要サイドの政策」だけで良いのかということ。ゼネコン向けの「有効需要」は論外として、減税だけで個人消費は上向くのか、需要が生産を喚起するということだけでいいのか。もっとダイナミックな制度的な消費へのインセンティブ、そして供給サイドの構造改革が必要なのではないか。

 これらと密接に関連するが、政策は、要求とは違うということ。要求には、「根拠」と「整合性」しか求められないが、政策には、「実現可能性」が求められるということ。実現のための彼我の力関係の分析、方法論の提示が求められる。

 例。公共事業からの福祉への予算シフト。逆立ち予算を指摘し、その是正を訴えることが、国民の心をどれほど捉えているのであろうか。「国保への国庫補助を従来の○○%に戻すだけで○兆円になる」、ということと同じではないか。それだけでは政策ではなく、机上の単純な計算に過ぎない。

 公共事業からの福祉への予算シフトは、需要サイドだけの話しではない(需要サイドに留まる限り犠牲者はなく、非常に居心地はいいのであるが)。中小の土建業社をつぶすことであり、そこで働く労働者を失業に追い込むことでもある。犠牲者を出さないためには、それを福祉産業で吸収しなければならない。正に、産業構造の大転換がなければ実現できない(中小の土木事業と在宅福祉の共通点は、比較的小資本で、低技術−資本力がなければできないような技術ではないという意味で−、労働集約型であること。経営のノウハウと資金の援助があれば、転換は充分可能であろう)。更に具体的な絵が書けてはじめて、政策と呼べるものになるのではないか。

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「ヨーロッパ諸国における近年の失業拡大は、市場競争の激化と福祉国家の相互作用によって生じた」と言われる(『ケインズは本当に死んだのか』中、竹中平蔵論文。1996年、日本経済新聞社。この当時は、竹中氏はことの外失業問題には関心があったようである)。

 市場経済の激化は賃金格差を拡大することにより、また、福祉による税負担の増大は企業にコスト増をもたらし、賃金水準の低下を指向させることにより、社会保障による「留保賃金」(reservation wage)を下まわる層を増大させる。これが、失業の増大を招いているというのである。

 ヨーロッパにおける政策課題の中心は、雇用・失業問題のようである。フランスの35時間労働制しかり、オランダ・モデルによる取組みしかり(市場の規制)。TUCの「福祉改革」の要は、正に「福祉から労働へ」であり、労働へのインセンティブを高める福祉の見直しを通じた雇用政策である。(先の「定式」に沿っているように見える)

 日本においても雇用政策そのものを運動の前面に出せないか。われわれの雇用政策は、雇用政策とは言っても、それ自体というより、需要(GNPの6割を占める個人消費)の刺激策としての視点が強い。その点、ヨーロッパの場合、「雇われる側の視点」だけではなく、「雇う側の視点」をも取り入れ、それが、従来の「需要サイドの政策」から「供給サイドの政策」への橋渡しの役割を果たしているように感じる。政権への距離から来るもので、仕方ない側面なのかもしれないが、雇用問題を手がかりに供給サイドの政策にも踏込めないか。

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 日本においては、「何世代にもわたり、失業給付で生活している」層の存在など想像もできない。イギリスにおける「福祉改革」のめざすものは、日本においてはある面では既に達成されており、日本の位置ははるかにアメリカに近い。医療の民営化でもしかり。

 しかし、「医療の民営化では、日本もヨーロッパも共通している」という視点での捉え方でいいのか。両者は、位置取りだけの違いであり、同じ方向を向いて進んでいるのであろうか。どうも、微妙な方向のズレがあるような気がする。

 ニューレイバーの主張を要約すれば、「だれが、医療を提供するかではなく、どういう質の医療を提供するか」、「そのために政府が、どのような役割を果たすかが問題である」、とでもなるだろうか。

 保守党の進めた民営化路線に対して、「保守党は民営化と効率とを同一視した。」と批判し、「競争自体は、最終目的ではなく手段である」と強調する(トニー・ブレア「第3の道」)。

 民営化をし、市場原理を導入し、競争にさらせば、効率と質が高まるという考えとは明らかに一線を画している。

 両者のこの違いを踏まえ、医療・福祉の「改革」とどうたたかうのか。医療の公共性の概念をどう捉えるか、これがカギとなろう。

民間医療機関であっても公共的であるべきであり、それは国立、自治体立の独占物ではない。公共性を発揮できる十分な質を提供できるのかどうかが、判断の分かれ目であり、民間にはそれが期待できないなどとは、理論的にも実践的にも言えない。

国公立であれ、医療の公共性を発揮できない場合には、容赦なく淘汰の対象にならざるを得ないのであり、私たちは、「とにかく国立で」、「とにかく自治体立で」とは、言えない時代にもはや踏込んでいる。

こういう視点での運動は、同時に全国企業連の枠を乗り越える、医療産別としての新たな段階の組織形態を求めているといえる。そういう組織でなければ、「とにかく○○で」というセクトは克服できないからだ。

◇      ◇      ◇      ◇

 もう少し触れたい課題が、残っているような気もするが、11日間のヨーロッパ調査が、私の内面に与えた印象記をこれで終わることにする。