労働相談事例集


 医療業は、タクシー分野と労基法違反率トップを争う業種です。私たち県医労連にも様々な相談が寄せられます。その中身は、『病院は正に無法地帯』というに値するものです。
 その背景にあるものは、労働法規に関する知識の欠如(労使ともに)もさることながら、そもそもそういうものを必要としない医師を頂点とした封建的な『主従関係』そのものであるとも言えます。
 相談者のプライバシーに配慮しつつも、ここに敢えてその中身を公表するのは、内部告発的意味合いからではなく、労働者にも経営者にも働くものの権利についてもう一度考えてもらい、当たり前の労使関係が通用する職場に、病院をしたいという思いからです。
 また、合わせて考えていただきたいことは、労働者の権利が保障されない職場では、患者の権利も守られる保障はないということです。両者は、しばしば同根です。
患者の権利をいかに保障するのか、正に医療労働者、医療労働組合の課題です。
 意見等をお待ちしています。(個々に記載したものは、相談の一部です)


2000年

【2000年12月16日】 メールでの相談
はじめまして。たまたまネットをみてたら、巡り合いました。
相談したい事があります。
いまの会社には、一年契約の社員で働いています。
この度会社の方から、柔道整体士をとってみないかと誘われました。もちろん費用は会社負担です(言い遅れましたが、今の会社ではマッサージの仕事をしています)。
ただ、学校の期間が3年と長い為、途中で会社を辞められると会社にとって損失が出るので、3年間の契約ができるならばしたいのだが、それは法律でできないとか。
私は、学校に行ってる間は会社を辞める事は無いと思いますが、それでも3年間の契約はできないのでしょうか。
文章が支離滅裂になりましたが、会社からの申し出は大変良い話なので、できれば受けたいと思います。
何か良い方法があれば教えて下さい。
◆結論から言えば、労基法上は、3年の労働契約はできません。
1999年4月1日から、@新商品、新技術の開発に関し高度な専門知識を有する者、A事業の開始・転換・縮小のための一定期間内に完了する仕事に関し高度な専門知識を有する者、B満60歳以上の労働者との契約については、例外的に3年までの労働契約を結ぶことができるようになりました。しかし、あなたの場合はこれに該当しません。
 しかし、考えてみれば、通学する3年間の労働契約を結んだとしても、卒業し資格を取って会社を辞められた場合、会社の損失はより大きく、3年契約を結ぶことができるかどうかはあまり大きな問題ではないように思われます。ようは、会社とあなたとの信頼関係、それに思い(良い意味での利害関係)が一致するかどうかだと思います。
本音で、話し合ってみたらどうでしょうか。

【2000年11月23日】 メールでの相談
奨学金を受けて准看学校に通っています。
口約束で、将来准看学校卒業後2年間働くか、または、続けて進学校卒業後4−5年働くことを言われていますが、実際、書類
での契約はかわしていません。
勤務も前の先輩がそうだったからと、休日出勤も多くなったり、最初に言っていたここととやっていることが違ってきています。
以前、自分の行きたい科に勤めたいから、進学校の奨学金はもらわないで行きたいと伝えたが、「2年間のお礼奉公をしないと
進学校に行かせない。」と言われました。など、いろいろ束縛されています。
将来自分は、正看になってすぐ総合病院で働きたいと思っているが、奨学金やお礼奉公があるので困っています。
自分の人生なので、泣き寝入りすることができません。次の事を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?
1.すぐにでも、勤務している病院をやめたいのですが、どうしたら いいですか?
2.奨学金と労賃が一緒になっているが、その場合の返済はどうな りますか?ボーナスも支給されていますが、それもですか?
3.契約書は口約束ですが、どこまで束縛されますか?
◆労働契約と奨学金契約とがゴッチャになっている典型だと思います。
その場合には、奨学金と称していても正当な賃金と見なされ、返還の必要がない場合があります。
ただし、実態がどうなっていたのかです。実態によっては、かえって不払い賃金がある場合があります。
口約束でも拘束されますが、その内容があいまいなようです。奨学金契約として成立しているのか、
それとも贈与と見なして良いのか、具体的に検討する必要があります。
どこの県か教えてもらえれば、地元の県医労連を紹介します。
弁護士とも連携を取りながら、親切にアドバイスをしてくれます。


【2000年10月31日】
高知市内SS病院。介護人。
声が大きい。患者に暴力を振るうと解雇を通告された。
実態は、痴呆の患者さんで大きな声を出さないと聞こえない。介護中患者さんにももをつねられて、無意識に手で払った、というもの。
同時にあと1人辞めさせられた。
◆個人加盟労組に加盟。病院に電話。病院側が退職の条件を提示。本人納得の上退職。


【2000年6月10日】
高知市内H医院看護婦
6月中旬に主人の会社の慰安旅行でハワイに行くため、2ヶ月前に直属の上司に伺いをたてた。上司は「大丈夫でしょう」と言う変事であったので安心していた。その後、パスポート取得などで年休を取った際にも何も言われなかった。
ところが直前になって、理事長から呼び出され、「あなたに休まれたら困る。あなたは職場のキーマン。長期に休まれたら、職場が回らない。患者さんが困る。私も儲けどうこうでやっているのではない。」と許可をしてもらえない。キャンセル料は病院が払うと言っている。どうしたら良いでしょう。

◆年休取得には経営者の許可は必要ないが、職場の状況にも配慮して、充分先に申し出て内諾を得ている。病院側には、時期の変更権があるだけだが、理事長は「許可しない」としか言っていない。あれだけの時間的余裕があれば、応援体制も充分取れるはず。家族みんなが旅行を楽しみにしているのに、キャンセルせよと言うのは社会的にも非常識。今になって取りやめると言うことにはならない。後のことは帰ってきて相談しましょう。今は旅行を楽しんできなさい、とアドバイス。
 その後、旅行から帰り10月分の賃金で年休日数分がカットされた。個人加盟労組に加入してもらい、理事長に会いに行った。結局は、カット分を返してもらうことができた。


【2000年4月17日】
T高校衛生看護科
奨学金返還問題での相談(母より)
専攻科に受かったが、本人が委託先の病院を辞めたがっている。いま、委託先の病院を辞めたら奨学金の返還はどうなるか。また、学校も辞めなければならないか。
平日は、学校終了後2時間程度働いていた。土曜日は、朝の9時から晩の7時ごろまで10時間ぐらい働いていた。日曜日は休み。
しかし、学校が休みの期間は連日ぐらい働いていた。時間給でもらっていたようだ。
授業料月3万円程度、スクールバス代月8千円、これらを引いて月3〜4万円程度もらっていたようだ。入学時に20万円借りた。
委託先病院は、先生からすすめられた。最初から希望していた訳ではない。強制ではなかったが、委託生になった方が良いですよみたいな雰囲気だった。

◆委託先を辞めても学校を辞める必要はない。奨学金は直接委託先から借りるのではなく、学校の奨学会から借りた形式になっているはず。担当の先生に相談してみたら。学校や先生が、委託先の勤務条件についてきちっと把握しておくことが必要。


【2000年3月23日】
T県国立病院に3年半勤務
退職時の年休の行使で相談
病院とトラブルがあって結局3月末で辞めることになった。27日の年休が残っており、請求したが婦長から許可が下りない。人事院にも問い合わせたが、ラチがあかない。3月3日から欠勤となっている。今日呼び出しがかかっている。どうしたら良いだろう。

◆年休を許可しないということはできない。時期変更権があるだけ。3日から欠勤とのことだが、年休の請求をしているのだから一方的に責めを受けると言うことにはならない。年休を退職まで入れて完全消化して辞めると言うのが理想だろうが、医療の職場は中々そうはいかない。婦長サイドが恐れているのは、一人に許すと慣例になってしまい、勤務繰りが困難になるということではないか。事務サイドも交えて、率直な話合いを。

(結果)23日までは、病休と年休で処理。今後1週間は病休処理ということで話がついたとのことでる。


【2000年3月15日】
K国立大学病院に勤務。
非常勤職員で採用された。日々雇用の1年契約。ところが途中で育休の代替として臨時採用になる。任期も決められているが、繰り返したり、途中でまた非常勤にされたりしてきた。退職金も時期、額など支給基準がはっきりしない。昇給も同じ。

◆人事記録を見せてもらったが、極めて杜撰。臨時任用の時は1級15号となっているが何年もしていっきに1級21号となっている。それまでの分を遡及してはたっらものと思われるがそのような処理が法的にできるのか。
 非常勤期間の昇給もどうなっているのか理解できない。退職金も同様。


【2000年2月1日
K市M病院勤務。ヘルパー。
MRSA対策が全くとられていない。私は他の病院でも長いことやってきて経験で分かるが、MRSAの患者を一般患者と全く分けていない。私たちヘルパーにも一切知らされていないし、看護婦にも知らされていないようだ。中にはカイセン、C型肝炎の患者さんもいる。
病室の前には、手洗いを置いているが、無益。
布団も年に1回ぐらいしか換えない。いくら失禁して汚してもそのまま。いろいろ指摘する人がにらまれる。定時以外に患者さんの訴えでオムツを換えても叱られる。
院長はいつも酒くさい。みんな「奈良漬」と噂している。

◆一緒に申告した。


【2000年1月13日】
I町I病院勤務。看護婦
週休2日制になった。夜勤は準夜・深夜連続の2交替制で月6回程度。
ところが、夜勤入りの前は公休がつけられ、8回のうち6回はつぶれる。週休2日制になって余計休めなくなった。日勤をして翌日夜勤入りという場合、その夜勤入りの日が公休扱いとなっている。労働基準監督署が来たようだが、何の処分もないがどうなっているのか。

◆全くひどい話だ。しかし、労基法には抜け道がある。労基法上の休みは週1回。この基準を満たす休みが週1回あったのか。または、日勤の終わりから翌日の夜勤入りまでの24Hを休日とみなしたかだ。
 就業規則、勤務表を見せてもらいたい。職場の実態を詳しく聞いた上で監督署に申入れに行ってはどうか。


【2000年1月12日】
K市T病院勤務の看護婦
高卒後T病院の委託生として医師会の准看学校にかよう。卒後3年間病院勤務。4年目に医師会の進学コースに行く。
准看学校の時は、半日勤務、半日学校であった。給与明細はなく、直接現金でもらっていた。
進学コースの時は、勤務なしで月6万円の奨学金をもらっていた。
今年卒業だが、昨年12月末に面接があった。公募も含め45名が受けた。1月7日付けで「意に添えない」と言う文書が郵送されてきた。どうしたら良いだろうか。

◆このところこういうケースが増えている。療養型病院が増え看護婦配置が低く済むため、看護婦の需給関係が買い手市場になってきた。奨学金制度を辞める病院も出ている。
 まず、奨学金契約くを良く見直すこと。通学期間の職員としての籍はどうなっていたか等を確かめる。例え籍はなかったとしても、卒業後はT病院で働く慣例になっており、あなたもそれを当然と見なしていたのではないか。また、返済免除の制度があればこそ、奨学金を借りる気になったのではないか。法的に争える。
 また、奨学金の返済要求に備えて、准看学校当時の勤務実態、賃金支払いの実態を記録しておくこと。場合によっては、奨学金ではなく賃金と見なされるケース、むしろ賃金が多く未払い賃金があるケースもある。

1999年

【1999年7月16日】
M耳鼻咽喉科
懲戒解雇問題での相談
<過去の経過・理由>
@ 検査に関してレセの取下げをした。病院の名誉を傷つけた。返還となれば1億4500万になる。懲戒解雇だと言われる。だが、医療事務がいないので置いてやっている。99年5月ごろ。 
A 歓迎会の日取りを院長の当初案が不都合。 その後調整して開いたにもかかわらず、「君は断った。その時首と決めたが、妻が、
 気に入っているので置いてやった。」 1ヶ月ほど前。
B 妊娠したら申し出よ。うちには産休の制度はない。やめなければならない。ある日、知り合いの男性と病院の前で会っているのを見つけ、後で「あれは恋人か。妊娠はしていないか。生理があったからと言って安心はできん。精子は体内で2週間生きている。妊娠をするな。気をつけよ。」と言われた。1ヶ月前。
C 7月15日の早朝、電話で3日間の有給休暇を申し出、「ハイ、かまいません」と言ったにもかかわらず、看護助手に「やめる気かもしれないが、懲戒解雇だ」と言った、ということ。
 過去にも懲戒解雇を連発。半年ぐらい勤めた事務の人を2ヶ月分払って即解雇した例もある。

◆(その後)両親が院長に電話。まずいと思ったのか、懲戒解雇は撤回。しかし,本人に続ける意思なし。
 病院が2ヶ月余分に払い、自主退職の形に。
 

1998年

【1998年8月31日】
A印刷所
 組合員の知り合い。6月23日社長に呼ばれ「1月以内に職を探すように」と言われ、カ〜ッときて翌日健康保険証を会社に持って行った。その時には社長は「そんなつもりじゃなかった」と言ったという。
 その後会社が契約している社労士事務所から離職票と中退金の証書が送られてきた。それぞれ手続きをしたが、10年近く勤めて中退金は30数万円。中退金に加入していた事もこの時はじめて知った。証書を見ると勤め出してから3年間ぐらいは掛け金がかけられていない。
 職安への手続きには2ヶ月ぐらいしてから行ったが、離職理由が自己都合になっている、3ヶ月の給付制限期間がつくと言われ、離職理由の確認をされた。その時に「社長に辞めろといわれた」と言ったので、職安の職員が会社に確かめてみることになっている。
 話を聞くと、従業員は20数名。しかし、今まで就業規則を見た事もない。ましてや、退職金規定など知らない、ということ。

◆31日にまず、監督署に行き就業規則を確認。新しい整備されたものがH3年に出されている。その中に、退職金は中退金とする旨の文言がある。その時点から中退金をかけ始めた模様。それ以前のものはないかと見せてもらうと昭和30数年に出されたのものがあり、それを見ると同様に退職金は中退金とする旨の規定がある。監督官にその掛けられていない期間分は労働債権になるだろうと聞いたが、口を濁す。
 その後会社に行き、本人は近くの喫茶店で待機し社長と交渉。「1月以内に職を探せと言うのは、従業員にしてみてば即やめよと言うのと同じ。1月の予告手当が要
る」。これに対しては、「そうなりますかね。そんなつもりじゃなかったのですが」と渋りながらも出す事に。当然、離職票の離職理由も解雇にしてもらう事に。中退金については率直に認め、入社時点から掛けていたとしたらいくらになるか中退協に問合せ差額を支払う事に。
 年休の残日数を聞くと20日あまりと言う。普通は年休を完全消化してやめる。即解雇でその機会を奪われたのであるから、買取はいけないが別名目で相当額を保障すべきとの主張も、即了承。
 当初中退金の掛け金を本人の給料から引かれていると聞いたので、県の労働政策課に連絡。中退金の推進委員の話によると、資金繰りに困った社長が従業員が退職したように見せかけ中退金の資金を流用するケースもあるとか。中退金に加入する時点で本人の合意が要るが(掛けてもらう事を希望しない人は、断ることも出来る)、その手続きがされていないケースが多いようだ。そのため、中退金の横領、団体生命の悪用が跡を絶たない。


【1998年7月14日
民間Dクリニック
以前先輩にこういう所があると聞いていて電話。一切残業代が出ない。一応残業代の請求書はあるが、院長が破いたりする。昼休みの休憩時間も取れないが、院長は「こういう風に書いて請求しなくても、わしはちゃんと見て知っているから」と言うが、実際はくれない。
休みも、この2週間ない。こういう事って、どうなのでしょう。

◆違法ですよ。立派な法律違反。そういうものが、こともなげにまかり通っているのが医療界。
今は、残業代がもらえなくとも、自分の手帳に○年○月○日、○時○分から○時○分までこういう理由(仕事内容)で残業した、とちゃんと記入しておくことをアドバイス(取れなかった休憩時間も残業代の対象ですヨ)。
いざと言う時、これが証拠になります。2年間さかのぼって残業代を請求できます。
休日は週1回は与えなければなりません(それとも、4週間を通じて4日以上の休日を与えるか)。
住所を聞き、資料を郵送することに。


【1998年7月3日】
民間M内科
知人から聞いて電話帳で調べて電話。泊りをした時、今までは土日にかかると代休をくれていたが、「8月からあげなくても良いことになった」と言われたが、法律的にどうなのでしょう。

◆21床?ベッドは21置いてあると言う。聞くと、日勤後に泊りに入り翌朝帰るという勤務。寝当直が多いが、急変があり通常の勤務をしても超勤手当は払われないとのこと。
変形休日制を就業規則に盛込むようにしたとも考えられますが、恐らく「宿日直の許可」の申請を正式にするようにしたのではないでしょうか。その際、監督署に代休は必要ないと言われたものと思われます。
もし、宿日直の許可を受けずに「宿直」をさせていたのであれば、それは通常の勤務をしたと見なされ、全時間が割増賃金の対象になります。2年間さかのぼって請求できます。また、同額の付加金の請求も出来ます。
例え許可を受けても、本来の宿日直の業務内容である「定時の見回り」、「電話の授受」など以外の通常の勤務が発生した場合には、割増賃金の支払いが必要になります。


【1998年6月19日】
民間F外科
電話。院長夫人が事務長。院長は尊敬できるが、院長がS病院にいたこともあり、そこの出身者で婦長以下の幹部看護婦を固めている。人間関係が複雑。次々にやめている。
私も辞表を出したが、事務長に「こなくて良いから籍だけもう一月置いておいてほしい。あなたにとっても得。」と言われた。こういうことはどうなのでしょう。ここでは良くあるみたい。次の就職のこともあるし、離職票をすぐに書いてもらいたい。現在は欠勤中(年休は何日も残っているが、年2日くらいしか婦長がつけてくれない)。

◆違法性の指摘をした上で相談者に事務長が言う「得」とは何なのか質問したところ、籍を置く一月分の賃金も出ず、1月分の社会保険料の本人負担分は今月の賃金から引かれるとのこと。なんの得もない。6月分の賃金をもらい、すぐに離職票を書いてもらいなさい、とアドバイス。医労連には一人でも入れますよと言うと、「ああそうですか」、と電話の向こうで驚きと期待の声。電話帳で「看護婦110番」を見つけて電話したとのこと。


【1998年6月18日】
民間D病院
電話。勤務時間を過ぎて働いても残業代が一切つかない。それどころか、院内保育所の保育料を所定の時間を過ぎた分追加徴収される。踏んだり蹴ったり。
これは、病院全体ではないが、独立採算と言うことで私のいる部署ではそうなっている。

◆知合いを通じての相談。後日来局の約束。


【1998年6月13日】
精神科に入院歴のある患者さんから(女性)
電話。看護婦への苦情も聞いてくれますか?もう10年ほど前になるが、ある精神科に入院した折りに看護婦から、「おまえのようなものは殺してやる」と言われた。その時の心のキズが今も癒えない。そういう人間を看護婦にして良いものか。良いはずがない。

◆県医労連にも精神の単科病院と精神科のある病院がある。組合の課題でもある。特に精神科では、患者さんを人間として見ると言う当たり前のことが非常に大切。
組合としても努力不足。一方で、精神科の看護婦不足の実態から「安かろう、悪かろう」の傾向もある。経営者は、高卒者を看護学校に通わせながらも充分な職業観を教え込む前に、労働力として使い、それが職業観、患者観を歪める側面もあることを説明。県の長寿社会政策課も紹介する。


【1998年6月4日
民間B老人病院
数人が来局。同僚看護婦Bの送別会を計画していたところ、婦長がそれを知り、私を含め数人が呼ばれ、もう明日からこなくて良いと言われた。
この婦長は、病院長とツーカーで、看護婦どうしが横の連絡を取り合うことを極端に嫌う。実はBの結婚式もそういうことで出席をするなと言われた。「あなたたちは、Bさんの結婚式にも行っていないのに、送別会をするというのはおかしい」と言う。わたしたちは、陰でお祝いをあげていたのですが。
婦長に呼ばれた内の2人が昨日出勤したところ、院長に「もうくる必要はない。別の人を雇ったから」と言われた。「首ですか」と聞くと、「首ではない」と言う。離職票に自主退職と書かれるのはどうしても納得が行かない。解雇と書いてもらいたい。

◆労働者と言うのは何と慎ましやかなことか。「解雇が納得できない」ではなく「解雇と書いてもらわなければ、納得できない」とは。病院の不当性、労働者の権利を話したことは言うまでもありません。「嫌だから、納得できない、我慢できないから病院をやめる」では、何の解決にもならない。そこの病院がたまたま悪かった、私は運が悪かったと言うのではなく、医療界全体が問題なのだから、まずは、矛盾を感じた人が職場を変えるために立ち上がらなければ何も変らない、と組合作りを訴えました。
話しの中で驚いたことは、患者さんが3階から飛び降り自殺を図った時に病院側が取った態度です。すぐに警察に知らせるのではなく、患者さんを救急病院に移送した後、血痕を水で洗い流したと言うのです。その時に院長が言った言葉が、「後はJ病院の出方次第だ」と言うのです。数日して当然の結果として警察が来て調べたと言うことです。
組合作りについても考えてみると帰って行きましたが、電話で「もう今更あの病院で働く気にはなれないし、みんなで退職願を出すことにしました」という、大変残念な連絡がありました。


【1998年2月17日】
民間C病院
来局。年休が取れない。子供が病気の時など、年休を取りたいと思っても「年休は3日前までに申し出る」ということになっているので取れない。3日前と言うことは、法律で決まっているのか。

◆決まっていませんよね。職場、同僚のことを考え配慮をすることは勿論ですが、その上でその日の朝方病棟婦長に電話をして年休を取ることもあります。聞くと病休の制度はないとのこと。年休も今まで数回しか取ったことがない、しかも、ボーナスの時かなり引かれるとのことでした。就業規則は、見たことはあるが、事務長が机の中にしまいこんでいるとのこと。
結局、この人は相談があってから数ヶ月後に退職、県医労連傘下組合の病院に何とか就職し、無事組合員に。


【1996年6月27日】
S消化器内科
電話。パートで働いていたが、昨日事務長(女性)に「今月一杯で辞めてほしい」と言われた。どうしたら良いでしょう。時給1300円。通勤手当、皆勤手当があるが、病院の駐車場代と相殺。

◆翌日、例の駐車場で待ち合わせ、事務長に面会。「一月分の解雇予告手当+ご苦労さん手当(事務長の誠意に任せる)+残っていた年休10日分を賃金換算して支払う」ということで話しをつける。個人病院では、一度トラブルとそこで働き続けて組合を作ろうとはなり難い。金銭解決ほどむなしいものはないが・・・・。
1年ほど経って、この人から電話がある。「アパートの駐車場で人の車に当てた。相談にのってほしい」とのこと。
これを契機に、医労連共済(自動車、火災、生命等のセット共済)にまとめて加入。今でも、毎月個人加盟の組合費と共済費をキチキチと届けてくれる。
組合のない個人病院の人たちにとって医労連共済は強い味方なのだと実感。


【1996年6月4日】
国立T病院
電話。外来の非常勤。「超勤手当が出ない。年休がない。最初の話しと違う」、ということで外来婦長に辞表を出そうとするが受け取ってもらえない。婦長は「定員があるから辞めることは出来ない」と言う。どうしたら良いでしょう。

◆ヒドイのは民間だけではない?話しには聞いていたが、辞めるのに順番待ちになっている。本人は嫌で欠勤状態になっており、早速病院ロビーで待ち合わせの上、総看護部長に面会することに。約束の時間に現れたSさん。「総婦長に言われたので白衣に着替えてきます」。辞めに行くのに白衣もないものを。ナイチンゲール精神に訴えて退職を思いとどまらせるつもりか。早速看護部へ。まずは副看護部長と面談。県医労連の名刺を出すとビックリ。慰留どころではなく、看護部長と連絡を取り早速退職の手続き。私は、看護部長室に通され、手続きが済むまで30分あまり看護婦不足問題で意見交換。立派な意見を実践さえしてもらえれば・・・。
−<後日談>− 2日後、同じ病院の看護婦さんから電話。聞くとSさんから聞いたとのこと。私も辞めたいのです。「辞めないで、安心して働けるようにするのが組合の仕事」とは言いながらも、「県医労連に相談しています、と言ってご覧なさい。おそらく辞めれると思いますよ」。その後電話がないところをみると、「無事」辞めれた模様。


【1994年2月15日】
I内科。
電話。1月末で退職したが、病院から「M生命からあなたの口座に¥584,300円振り込まれると思うが、¥129,600円だけ取って残りの\454,700円をS銀行上町支店・・・・に振り込んでください」とメモを渡され言われた。納得できないが、ここでは今までもそうしてきたとのこと。

◆翌日、院長に面会。退職金契約は生命保険会社と商工会議所が提携してやっていると聞くが、全て個人名義となっているはず。そちらの税務上の処理がどうなされているのかは知らないが、病院に返還する理由はない。ということで解決。
団体生命保険でないだけまだマシ・・・・?